「世界共和国」

「ここでわわわれにヒントを与えるのは、国家以前の、部族連合体の例である。部族連合体はその頂点に王あるいは超越的な首長をもたない。先に私はこれを『国家に抗する社会』として見た。だが、今これを、諸国家がその上位に主権者をもつことなく、戦争状態を克服するにはどうすればよいのかを考えるヒントとして見たい。部族連合体を支えているのは、交換様式A、すなわち、互酬原理である。いいかえれば、軍事力や経済力ではなく、贈与の『力』である。それがまた、諸部族の実質的平等・相互的独立を保証している。...
われわれは先に、互酬的な原理の高次元での回復を消費=生産協同組合に見てきた。今や、それを諸国家の間の関係において見るべきである。諸国家連邦を新たな世界システムとして形成する原理は、贈与の互酬性である。これはこれまでの『海外援助』とは似て非なるものだ。たとえば、このとき贈与されるのは、生産物よりもむしろ、生産のための技術知識(知的所有)である。さらに、相手を威嚇してきた兵器の自発的放棄も、贈与に数えられる。このような贈与は、先進国における資本と国家の基盤を放棄するものである。
だが、それによって無秩序が生じることはない。贈与は軍事力や経済力よりも強い『力』として働くからだ。普遍的な『法の支配』は、暴力ではなく、贈与の力によって支えられる。『世界共和国』はこのようにして形成される。」〔柄谷 (2010) 461p-462p〕

いささか演説的な文体とともに語られるこの提唱は、「非現実的な夢想」として響くかもしれない。しかし、柄谷は、この可能性に希望を持っている。

「互酬原理にもとづく世界システム、すなわち、世界共和国の実現は容易ではない。交換様式A・B・Cは執拗に存続する。いいかえれば、共同体(ネーション)、国家、資本は執拗に存続する。いかに生産力(人間と自然の関係)が発展しても、人間と人間の関係である交換様式に由来するそのような存在を、完全に解消することはできない。だが、それらが存在するかぎりにおいて、交換様式Dもまた執拗に存続する。それはいかに否定し抑圧しても、否応なく回帰することをやめない。カントがいう『統制的理念』とはそのようなものである。」〔柄谷 (2010) 461p-462p〕

今日的な諸問題をより強く意識する場面が多い今日この頃ですが、私自身も柄谷と同じ希望を持ちたいと思っています。