そういえば大学の授業をやっていて少し心配なこと

今年からある大学の「広告論」の授業を担当している。

上期はマーケティング・コミュニケーションの前提となるSTPと購買行動プロセス、メディア特性、広告情報処理まわりの「基本的な考え方」を取り扱い、上期末の試験では、ざっくり2/3程度の学生が、これらの考え方を、ある程度自分なりに展開・応用できるようになっていた。

下期は、これらの「基本的な考え方」をベースにしながら、今日および近未来のマーケティング・コミュニケーションにおいて押さえておくべき「新しい事象やそれらを前提とした考え方」(例: ソーシャル、検索、CRM)を取り扱い、各回の発表から見るに、ざっくり1/2割程度の学生が、これらの事象や考え方を、ある程度自分なりに展開・応用できるようになりつつある。

ここまでは、予想したよりも高いコンバージョンレートだった。

ところが、今日の発表はいささか予想外のことが起こった。

お題は、「高関与材を一つ選び、その商品が近未来(今から3年後)にどのような購買行動プロセスになっていて、そのようなプロセスに対応して広告主はどのようなメディアを使い、どのようなアプローチをしていそうかについて仮説を立てる」というもの。
予想外のオリジナリティがある発表は「あればうれしい」くらいで、これまでの授業で取り扱った事象や考え方の枠内だがそれらを組み合わせて仮説を立てたものがほとんど、と予想をしていた。前者については2つほど該当する面白い視点の発表があってうれしい誤算だったのだが、実は後者のコンバージョンレートが思ったよりも低かったのだ。

コンバージョンレートが低かった理由は、意外なところにあった。
半分以上の学生が、「購買行動プロセス」ではなく、「商品自体の変化」の話を発表したのだ。
たとえば、新聞を題材にして「新聞が電子化する」という話で、あるいはテレビ(受像器)を題材にして「テレビが地上波デジタルになる」といった話が展開され、いきなりそこで終わってしまう、といった感じ...

なぜこのようなことが起こったのだろうか?

  1. 課題の日本語が理解できていない
  2. 「商品そのもの」と「商品の売り方」が違うものであるということを判断できるロジカルな思考力が養われていない
  3. 課題の内容を深く考えず、とりあえず関係しそうなものを手当たり次第検索し、引っかかったものを書いている
  4. 「商品そのもの」と「商品の売り方」を顧客と切り離して取り扱うのは無意味で、顧客に立ち現れた認知の結果にしか本質がないという現象学あるいはポストモダンマーケティングの立場を採っている
  5. その他

1ならば、今日の授業でかなりしつこく例示をしたので、仮にそれが原因だったら、次回の授業では除外できているはず。
4ならば、かなり素敵な話。

でも、なんか2と3あたりが怪しい気がする。とするならば、少し心配。