「国家」

ところで、柄谷は、この「ネーション」だけでなく、「国家」「資本」も、「支配的な交換様式に対応した社会構成体」として説明している。
「国家」について柄谷は次のように説明している。

「国家社会、すなわち、階級社会が始まると、この契機(交換様式A)は従属的になる。そこでは交換様式B(略取と再分配)が支配的となる。」〔柄谷 (2010) 13p〕

「交換様式B(略奪と再配分)もまた共同体の間で生じる。それは一つの共同体が他の共同体を略取することから始まる。略取はそれ自体交換ではない。では、略取はいかにして交換様式となるのか。継続的に略取しようとすれば、支配共同体はたんに略取するだけでなく、相手にも与えなければならない。つまり、支配共同体は、服従する非支配共同体を他の侵略者から保護し、灌漑などの公共事業によって育成するのである。それが国家の原型である。」〔柄谷 (2010) 10p〕

柄谷によってイメージされている「国家」は、国民から税を徴収し、公共事業などを通じて「再配分」していく交換様式と、それを円滑に司る「官僚制」に代表される国家機構である。

「しかし、『休みなき王朝の交替』にもかかわらず不変的なのは、アジア的な農業共同体であるよりもむしろ、このような専制国家の構造そのものである。それに関して特筆すべき点は、初期的で停滞的な農業共同体に基盤をもつ初期的な国家ではなく、形式的には集権的な国家として完成された形態、つまり、官僚制と常備軍というシステムが、アジア的国家によってもたらされた...真に永続的なのは、農業共同体よりも、それを上から統治する官僚制・常備軍などの国家機構である。」〔柄谷 (2010) 115p〕

最近の事象で「国家」が現われているものとして、「3.11」震災の後の「義援金配分問題」が挙げられよう。被災された自治体(バンド)の間では義援金の配分の調整が難しい中、国のリーダーシップが期待され、厚生省によって「義援金配分割合決定委員会」が設置されたのは、まさに「官僚」による「再配分」の本領発揮といったところだろう。
あるいは、「3.11」以後の混乱の中で出てきた「高所得者の年金減額」の議論は、それまで「将来の自分の福祉」と期待して年金を払ってきた人々に対して、「国家」がしばらく隠してきた「略奪」の顔を久しぶりに見せた場面といえよう。