「社会構成体X」の可能性

このような私自身の問題意識とどこまで一致するかはともかく、柄谷は、「ネーション」に替わるアプローチとして「交換様式D」が支配的となった社会構成体である「社会構成体X」を探っている。

「ここで、交換様式Dについて述べておかねばならない。それは、交換様式B(略奪と再配分)がもたらす国家を否定するだけでなく、交換様式C(商品交換)の中で生じる階級分裂を超え、いわば交換様式A(互酬)を高次元で回復するものである。これは、自由で同時に相互的であるような交換様式である。これは、前の三つのように実在するものではない。それは、交換様式BとCによって抑圧された互酬性の契機を想像的に回復しようとするものである。」〔柄谷 (2010) 12p〕

「交換様式Dは、先ず古代国家の段階で、交換様式B(略奪と再配分)とC(商品高交換)の支配を超えるものとして開示された。それはまた、そのような体制を支えるだけの伝統的共同体の拘束を超えるものでる。ゆえに、交換様式Dは交換様式Aへの回帰ではなく、それを否定しつつ、高次元において回復するものである。交換様式Dを端的に示すのは、キリスト教であれ仏教であれ、普遍宗教の創始期に存在した、共産主義的集団である。...
交換様式Dおよびそれに由来する社会構成体を、たとえば、社会主義共産主義アナーキズム、評議会コミュニズム、アソシエーショニズム……といった名で呼んでもよい。が、それらの概念には歴史的にさまざまな意味が付着しているため、どう呼んでも誤解や混乱をもたらすことになる。ゆえに、私はそれを、たんにXと呼んでおく。」〔柄谷 (2010) 14p〕

さらに柄谷は、「国家」や「資本」に対する批判力を「ネーション」に任せることが難しいだけでなく、そもそも危険を孕んでいることも指摘している。たとえば「ファシズム」の問題である。

「問題は、むしろ発達した産業資本主義において、ナショナリズム社会主義的な外見をもってあらわれることである。それがファシズムである。ファシズムとは、ナチスの党名(ナショナル社会主義ドイツ労働者党)が示すように、ナショナルな社会主義である。つまり、ネーションによって、資本と国家を超えようとする企てである。それは、資本主義にもマルクス主義にも敵対する。もちろん、ネーションによって資本主義と国家を超えることはできない。それが創り出すのは、資本主義と国家を超える『想像の共同体』にすぎない。しかし、多くの国で、ファシズムが強い魅力をもったのは、それがあらゆる矛盾を”今ここ”で乗り越える夢ー実際は悪夢だーのような世界のヴィジョンを与えたからである。」〔柄谷 (2010) 391p〕

となると、「ネーション」に替わって、「国家」や「資本」に対する健全な批判力を機能させるためには、どのようなアプローチがありうるだろうか。柄谷は、世界史の様々な場面において登場する思想からそのヒントを探っているが、中でも私が特に印象的だったのは、柄谷によって解釈されたカントの「目的の国」である。